『気と氣について』封印した御本人とチャネリングした。
最近、気と氣についてやたらと氣になるなと思っていたら、昭和初期の大林清市(表舞台には出ていない人のようだ。)という方からメッセージをもらった。

氣がつく、氣に触る、氣が変になる、氣が狂う、氣を使う、氣をつける、空氣を読む、病は氣から、氣持ちなど。長らく日本人と見えない氣の世界は日常生活で切っても切れない関係であった。
GHQ に氣ではなく気を使うように書き換えられてしまったというのが よく言われているが、実際はこの日本人が戦後封印したというのだ。
気にまつわる言葉が多い 精神文化の日本が、物質文化のアメリカ文化を受け入れるにあたって、氣という目に見えない概念は障壁となるからだ。彼も意図的にやったわけではなく、先祖からのインスピレーションのもと必然的に氣を封印することにした。日本文化はこうやって様々な文化を柔軟に消化していく。もう日本はアメリカ文化、物質文化を完全に消化した。ただ彼がもう戻してもいいと言っている。氣の世界にこれからは戻っていく。
『日本人よ。もう一度、気ではなく氣をイメージしながら生活するようにしてほしい。』
そうすれば生活に氣が入ってくる。生活とは生き生きとした活力。その元が氣なのです。
〈実際、Oリングテストでも、気と氣を紙に書いて比べるとエネルギー違いは歴然である。〉
